- レーシングハーレー“XR”が誕生するまで
ハーレーダビッドソンというと読者諸兄はどんな印象をお持ちだろう。
「ドッドッドッ」といったロングストロークの・ツインエンジンで、いわゆるアメリカンスタイルのツアラー――といったところか。
実は、日本がまだ明治の時代にハーレーダビッドソンのレーサーは走り出している。
1930年代にかけてはアメリカのフラットトラックレースを席巻。
その後ヨーロッパ車の台頭により苦戦を強いられるようになると、エンジンの基本設計を根本から見直した“XR”が開発されたのであった。
XR1000
XR1000ルシファーズハンマーのデビューウィン
「ルシファー」とは明けの明星を指すラテン語で、光をもたらす者という意味を持つ魔王サタンの呼称。いわば、魔王のハンマーで1980年代のAMAはBOTT(バトル・オブ・ザ・ツイン)を制覇するために作られたレーサーだった。
このクルマを託されたのは、「スプリンガー」ことジェイ・スプリングスティーン。’76年から3年連続でダートトラックのトップを極めた彼は、果たして'83年の開幕戦デイトナに姿を現すと並みいるドゥカティ勢を向こうに回し、独走&デビューウィンを飾って見せた。
XR750
XR750の変遷はダートトラックの進化そのものだった
この見開き右上に掲載されている写真はファクトリーXRを駆る1990年のスコット・パーカー。
バレンティーノ・ロッシがMotoGPでそうする前から彼らダートトラックレーサーたちは、ブーツをレーシングスーツの裾のなかに入れていた。
身にまとうライディングギア、跨るXR、そして人車一体となって走る姿もロードレーシングとはまた違った美しさがある。
ブーンボックス(排気管後端のアルミサイレンサー部分)から吐き出されるVツインの咆哮とともにダートトラックレーサーの歴史も振り返る。
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